2016,05,25,
自分が異端だと認めることは勇気がいることでした。
異端とはすなわち、社会で上手く生きていけないということです。
誰からも、どんな人からも、自分たちとは違うと思われて、それでもそこに混ざり続けていく、そんな隷属っていうんでしょうか、そういう生き方を強いられていく人、それが僕で、それが異端です。
あー
違います、
違います。
さっきのは嘘でした。
認めることは全く持って勇気のいることじゃありませんでした。
むしろこれは持病のようなものなので、「自分が狂ってるんだろうなあ」っていう自覚くらいは、ずっと昔からあります。自覚症状を気づかせてくれないほど、人というのは意地悪ではないらしいです。
自覚症状がちゃんとあって、ちゃんと向きあって、こんなできそこないを作りあげてきました。
本当に勇気がいるのは、本当に怖かったのは、自分の肉の中から、自分の毒を外にだすことです。
それは自分の中で、周りの一般人みたいな顔した奴らに対する、自分の唯一の強さでした。
弱さを、自分の中の矮小さであったり、欠陥であったり、決して綺麗な言葉では絶対に言い表せない、決定的に自分を方向づけてしまっているもの、それは他人に見透かされることがあれば、そいつを殺したくなるほど触れられたくないもので、それをどうにか飲み込んで、なんてことないようにしていることが、僕のたった一つの支えで、戦いでした。
それを今になって破る理由はわかりません。
耐えられなくなってとか、そういうことは一切なく、
ただそうしてみたくなりました。
独白なら許されるだろうと、自分が許してくれるだろうと、そう思いました。
これから少しずつ、恐らく狂っていると思われる目で見えてる景色を書いていくつもりです、自分の言葉で、いつか愛おしさを持った羞恥心で懐かしく思えるように、あるいは少し長めの遺書として機能するように。
これは、それだけの挨拶であり、自分への問いかけです。
「××××××××、××××××××××××××。」